リホーム
こちらの家に引っ越してしまいました
リホームでしたから、
キッチンキャビネットなどは、こちらに持ってきました
(持って来たものの、置き場所がなく
物置小屋で鎮座していますが)
心残りなのが
大きな物故、言い出しにくくて。。
旧宅のキッチンに置いたまま
出来合いの物。冷蔵庫の常備菜、少し手造り
主人は「つぶ貝」が好きで、お寿司屋さんではいつも「つぶ貝ください」って言ってます
先日の羽田市場で「つぶ貝」を見つけて買ってみました
春から、順次、進めているリホーム
納屋の解体で一段落
納屋解体後の土地は、駐車場にするつもりですが、鉄骨屋さんの都合で、この作業は来年と言うことに。
今回のリホームで、洗濯機の置き場所が、どう考えてもなく(脱衣場に置くつもりでしたが、天井までの作りつけの整理たんすを作ったため)
もう一か所には、洗面所にしたため、この場所にも置けず。。。
結局、裏庭に。。と言うことになりました
それで良かったんです。。夏のうちは。。(笑)
だんだんと寒くなり、外での作業がつらくなってきました
で。。。
洗濯機置き場と称し、台所からの続きに、小さな部屋を増築する事にしました
しばらくの間、洗濯機を使えない状態です
仕方ない。。。洗濯物を持って、旧宅まで。。。
ただ、私は車にのれませんから、主人の都合のいい時はいいのですが
主人の都合の付かない日は、洗濯ものを持って、バスに乗ります(バス停2つ 片道180円)
旧宅が急な坂道の上にある関係で、行きはバス。帰りは歩き。。
おばあさんは、川に洗濯に。。ならぬ、おばあさんは山に洗濯にです。
旧宅で掃除洗濯を済ませて、ゴロン。。
私のPCもないので、ただただゴロン。。息抜きばあさんです。
PCの不自由な生活で、自分のブログの更新もままならぬまま、皆さんのブログにお邪魔することもままならず、11月は飛ぶように過ぎて行きました
たぶん、11月以上に12月は早く過ぎ去り、すぐにお正月なんだろうな。。って思っています
備忘録として
11月2日から、納屋の解体作業が始まりました
ポールを組んで、足場を作られました
足場のポールの上を、スイスイと動かれる
(お仕事ですから当然ですが)作業員さん
シートを張り巡らされて。。
納屋の三方にシートが張り巡らされました
その手際のいいこと!
納屋の瓦が外されて。。 瓦は、約 3トン だったそうです
瓦のなくなった屋根に水をたっぷり含ませて
この日のお仕事は終了
11月3日 納屋の解体開始
重機で手際よくことが進み
午後にはすっかり納屋の姿はなくなりました。
覆っていたシートも外され足場の撤去
高いところでの作業、見てる私がはらはら
11月4日 きれいに整地してくださってます
まだ少し、整地の作業が残ってしまって翌日5日
建物を崩してみたら、まぁ!lこんなに広かったの?
と思えるような空き地になりました
解体屋さんの帰えられるのと、入れ違いに、
車庫の建設に携わってくださる、鉄骨屋さんがきてくださいました
主人と入念な打ち合わせ
主人の古くからの友人です。
年内は、お仕事が立て込んでいるため、
我が家の作業は来年と言うことになりました
よって・・・リホーム第5弾に続きます
リホーム第四弾は、15坪の納屋を解体して、駐車場にすること。
春から始まった家のリホーム。最終章です
解体する前に、中の物を処分する作業。
義弟の応援を得て、
長い月日をかけて整理していきました(主人と義弟)
田舎の納屋です。
入っていたものは、まるで昭和の博物館のよう。。
「これ残そう!」と思ったものは一つもなし。。
何するの。。。と思うほどの枚数のお皿。
茶わん。湯飲み。小鉢などの食器類。
義母に聞けば、このお皿は、
現在88歳の義母の結婚式の時に
揃えたお皿だそうで。。
大中小とたぁ~~くさん。
「結婚式の時」という義母の思い出に、
大中小3枚づつ残して後は処分。
石臼です。
子供たちの小さいころには、ご近所の仲良しグループで
「餅つき大会」やりました
杵も健在なり。。
また、昔のようなイベントをやるかも。。との思いがあって、
いったん残す(本当は重くて捨てられない状態だったかも)
何だかわかりますか。。。
計りです。
おもりは ↓ こちら
この桶満杯で15キロのお米が計れます
手編みのごうかき。
柄の部分が長くありません。
小柄だった義両親には、この長さが最適だったんでしょうね
せおいかご
乳母車。最近、私もゴミ出しの日。
大きな荷物だと、この乳母車を使っています
義弟と主人の努力で、ずいぶん片付きました
新品、箱入りの状態で出てきました。
一時ブームになった美顔器。
女性の間で爆発的ブームを巻き起こしたのですが
「効果がない!」との報道で、風船が割れたように下火になりました。
部屋の間仕切りや、柱なども撤去。
あとは業者の方にお任せです
11月の解体作業が待たれます
しかし・・・・
よくぞこんなに残してあったものです
残すっていうのではなく、捨てなかった。。っていうのかな
お宝になる様なものは何一つなく
ほとんどの物が廃棄処分となりました
65歳となった私。
自分自身の身辺も、ぼちぼち、片づけなければ。。
と痛感いたしました
息子や娘たちから「こんな物のこしてぇ。。。」と顰蹙を買う前に。。
キッチン。リビング。居室。玄関に続き、
リホームの第三弾は、
南側の廊下の張替えと、ガラス戸をサッシにしました
雨戸も戸袋も木製(半世紀はたつと聞く)
安いサッシでいいのですが。。。
残念なことに、昔の建具のため、今の規格に合わない
結果、サッシをオーダーという厄介な事になってしまいました
築90年あまりの、実家のリホーム。
建て替えた方が、快適でお洒落に出来ると思うものの。。
退院してくる義母のことを考えると、どこか、
昔の面影を残してあげたいという思いが強く、
また、私の子供が、将来的に帰ってきて、この家に住むことは、
100パーセントありえない事を考えれば、
リホームして、少しだけ隙間風を防ぐような家になればいい。。
というのが、私たち夫婦一致した意見でした
キッチンのシンクから、三部屋を見渡せます
一番奥の部屋まで、フラットにして、手押し車で歩けるようになりました
(一番奥が、義母の部屋になります)
大きなミス発見。冷蔵庫の扉を大きく開くと
換気扇にぶつかる事が判明
今後、冷蔵庫の位置を代えるかな。。
(明るく採光を取り入れたのに、窓をふさぐことになるけど。。)
結局、冷蔵庫を移動。小さな窓が塞がってしまいました
私の家から運んできたのは、冷蔵庫のみ
後は、義母の使っていた家電を使います
部屋の広さから、必然的に、浴室はこじんまりとしてしまいました
脱衣所に、大きな作りつけの棚を取り付けてもらって
散らかりがちな脱衣所が片つくハズ・・・
御座敷の畳も入れ替え。。
いい香りがしています
昨日、義父の百ヶ日を済ませました
早いものですね
義母も外泊させてもらって、一晩、久しぶりの我が家を満喫しました
庭を散歩する足取りもしっかりとしてきました
最高の笑顔を見せてくれて、病院に戻りました
法事を終え、一息する間もなく、田圃の作業が始まります
(主人が。。)
最大の難関は、お仏壇をどうするか(田舎のお仏壇は大きくてね)
小さなお仏壇にして、我が家に持ってきて、一部屋増築し、義母を引き取る。
この方法が私たち夫婦にとっては最善の方法のように思えました。
が。。
義母にとってはどうでしょう。
慣れ親しんだ家屋から離れ、隣近所の仲良しの方たちと離れた生活。
さみしいだろうな。。。
人生の最終章が、悲しみと辛抱の毎日では気の毒過ぎませんか。
同居に踏み切る!こう言うと、友人たちは100パーセント猛反対します。猛です。
nonkiちゃんは、一緒に生活したことがないから。。安易に考えすぎ!の一言。
大変や事なんよ。と続きます。
自分の体の事も考えて。。
それぞれの友人たちが、私の体を案じてのアドバイスをくれます
でも。。
私は、実の母との縁は19年。義母との縁は41年
実の母と暮らした時間より、はるかに長い時間を、義母と過ごしてきました(同居ではないにしろ)
そして、何より、実の母に親孝行らしきことを、何一つ出来ぬまま死に別れました。
今、実母が、介護を必要として生きていたら。。。足しげく病院に行き、出来るだけの事をするだろうと考えます。
孝行のまねごとをしてみたいと言う思いが強いのですが、苦労知らずの勝手者の私に務まるかが最大の思案ごとですが。
そして。。何よりね。
主人の実家の方が、生活をするにあたり、とても便利な立地条件です(近所に大きなスーパーも徒歩圏に郵便局や病院も)
現在の我が家は、山の上にあり、車に乗れない私の将来を考えると、毎日の生活が不便極まりない事。
若くはなっていきませんからねぇ。。
われわれ夫婦のいく末も考えながら主人の実家をバリアフリーにリホームすることにしました
主人の実家は、田舎造りの「田」の字の間取り。
目に見える柱や梁は、とてつもなく大きな木が使われ、見るからに頑丈な造りのように見えます
台所から繋がる2部屋をフラットにして、リビングダイニングに。
和室の畳も取り換えて。。
微妙な隙間風の入る窓は、サッシに。
お風呂とトイレも手すりを付けて。。
そんな風に思っていました。
が。。。。
この家。義母の生まれる前の年に建ったんだそうです。
昭和2年。なんと88年。
天井の梁や柱はしっかりとしたものながら、床板をめくってみたら。。。
肝心要の基礎の部分が、昔風の造りで、長い年月による痛みもひどく、大ショック。
軽い気持ちで考えたリホームが、大仕事となってしまいました。