今までに何度も訪ねる木曽三川公園ですが
今回初めて治水神社に立ち寄りました
タワーから下を見ていて、お社らしき一角を見つけたためです
治水神社
徳川幕府は、木曽三川の水害に悩む濃尾平野南部の住民を救うため、薩摩藩に普請を命じ、薩摩藩は経験したこともない水の流れに苦しみ、多大の犠牲を払い工事を完成させた
この工事の総責任者。平田靭負大人(ひらたゆきえまさすけうしのみこと)を御際神とし犠牲となった多くの薩摩藩士を慰霊しているとの記載を見つけました

治水神社御由緒 神社HPからお借りしました
と前置きが長くなりましたが、大きな失敗・・

後方に見える三川公園のタワー
このタワーから、この建物の屋根が見え
訪ねてみようとなったわけです
建物横の坂道を降りて・・・
ちなみにこの建物は、治水工事の犠牲者全員をお祀りするための
観音堂です

ここ・・手水舎
ちょっと余りに貧弱では・・
そう言えば、鳥居もくぐってないし・・
不安に思いながら・・歩く

ふと見ると、上記画像は、簡易手水とあり・・・
本当の手水舎は別にあるよう・・・そうやろなぁ・・
という事で、矢印の方向に歩いていきました

有りました!大きな鳥居です
改めて鳥居の外に出て、ご挨拶して中に入りました

こちらが、立派な手水舎です。

楼門です
〇に十の家紋は、 島津家
今年7月鹿児島旅行の折にたびたび説明に出て来られたお方
で・・・もう一つの家紋は・・
この神社の御祭神 平田家の家紋だとの事でした


治水工事完成から200年を迎えた1954年に架設された
朱塗りの隼人橋

ちなみに、間違えて入って最初に撮った画像
隼人橋
と・・・思わぬところで、薩摩藩の活躍を知る事となりました
入ったところから出て車に戻る途中・・

治水神社の案内表示
この道から入っていくらしい・・
次回からそうします。
今回初めて治水神社に立ち寄りました
タワーから下を見ていて、お社らしき一角を見つけたためです
治水神社
徳川幕府は、木曽三川の水害に悩む濃尾平野南部の住民を救うため、薩摩藩に普請を命じ、薩摩藩は経験したこともない水の流れに苦しみ、多大の犠牲を払い工事を完成させた
この工事の総責任者。平田靭負大人(ひらたゆきえまさすけうしのみこと)を御際神とし犠牲となった多くの薩摩藩士を慰霊しているとの記載を見つけました

治水神社御由緒 神社HPからお借りしました
と前置きが長くなりましたが、大きな失敗・・

後方に見える三川公園のタワー
このタワーから、この建物の屋根が見え
訪ねてみようとなったわけです
建物横の坂道を降りて・・・
ちなみにこの建物は、治水工事の犠牲者全員をお祀りするための
観音堂です

ここ・・手水舎
ちょっと余りに貧弱では・・
そう言えば、鳥居もくぐってないし・・
不安に思いながら・・歩く

ふと見ると、上記画像は、簡易手水とあり・・・
本当の手水舎は別にあるよう・・・そうやろなぁ・・
という事で、矢印の方向に歩いていきました

有りました!大きな鳥居です
改めて鳥居の外に出て、ご挨拶して中に入りました

こちらが、立派な手水舎です。

楼門です
〇に十の家紋は、 島津家
今年7月鹿児島旅行の折にたびたび説明に出て来られたお方
で・・・もう一つの家紋は・・
この神社の御祭神 平田家の家紋だとの事でした


治水工事完成から200年を迎えた1954年に架設された
朱塗りの隼人橋

ちなみに、間違えて入って最初に撮った画像
隼人橋
と・・・思わぬところで、薩摩藩の活躍を知る事となりました
入ったところから出て車に戻る途中・・

治水神社の案内表示
この道から入っていくらしい・・
次回からそうします。
行ってこられましたか、治水神社。
江戸幕府は、薩摩藩の財力を恐れて、常に、監視していました。
木曾三川の治水工事を命じたのも、その一つでした。
多大な犠牲を払いながら、苦難極まる工事を成し遂げた、
責任者、平田靭負大人は、工事完成後、その全ての責任をとって、堤防上で、切腹しました。
明治維新お菜、徳川に恨みを持つ、薩摩藩が、そのすべてのせきにんをとって、中心となったのでした。。
今日は良い天気になりましたね。
暑くなってきました。