今回の旅行は名古屋を早朝に。鹿児島を夜遅くと言う行程で
まるまる3日間。観光地を巡ります

この日も朝はバイキング。ただ。。。余り「コレ食べたい」と思うものはなく
野菜中心に具沢山のお味噌汁で済ませました
最初の観光地は、知覧武家屋敷

朝早くから観光客もいないわなぁ・・

時間の関係で、4軒の武家屋敷を見せて頂きました

どのお宅もお庭が綺麗に手入れされていて・・

のんびりさせて頂きました

枯山水のお庭が多いなか、このお屋敷はコイが泳ぎます

高城家 こちらで詳しく

男玄関。女玄関に別れてました

かやぶき屋根でした
(知覧の町並みの中でかやぶき屋根は2軒のみ)
2つのかやぶき屋根を繋げた知覧の典型的な民家だそうです



私の知る赤とんぼとはちょっと違う・・
長い時間、飛んでいく気配なし。スマホを近づけても・・・平気
こちらの方が根負けし、先を急ぎました。
次に向かったのは気の重くなる知覧特攻記念館
気は重くなりますが、日本人として、広島。長崎の平和記念資料館とともに
見ておかなきゃいけないところだと思う(広島はまだ見に行けていません)


多くは写真が禁止されていますが、入ってすぐの無残な特攻機は写真が許されてました


海から引き揚げられた特攻機の残骸です
海軍の主力戦闘機。ゼロ戦と呼ばれるもの
何とも胸が詰まりますね
静かな空気の流れる管内
特攻隊の遺影。遺書。遺品などの展示
一つ一つを読み進める
平日にもかかわらず、すごい人で、
皆さんが真剣な表情で細部にまで読み進めていらっしゃいました
まぎれもなくこんな時代が日本にあった(高々80年前)事を
再確認させられたように感じました
もう少しゆっくりと時間を掛けたかったけれど・・
ツアーの旅の悲しさ・・
外に出て三角兵舎(特攻隊員の宿舎)を見てみる



特攻までの日々を過ごした宿舎です。
そのすべての隊員は若い・・


三角兵舎のお隣には知覧平和観音堂

お線香を供え祈りをささげる方たち。

色々な像や慰霊碑が並ぶ中で、私が足を止めたのはこの像
母の像・・・
理不尽な事を理不尽とも言えぬ時代を生きた母親の気持ちを考えるとき
特攻隊として出撃する息子を、どのような気持ちで送ったのだろう
その気持ちを思う時、計り知れない虚しさを感じた。
母親の像は、飛び立つ兵士の像の方を向いて建てられている

ツアー旅の悲しさで、時間制限とともに、ここを後にした。
平和な今の世を生きる我々は、後の時代にも
この若き特攻隊の犠牲の上に今の平和があることを、伝えていかなければ・・・
今日の旅行記は気が重くなりすぎたため
ここまでです
つづく
知覧、そうなのよ、気が重くなるので
いつもパス。
広島の平和公園、長崎の平和公園、それらは行きましたが。
台湾にも特攻基地があり、沢山の台湾人が日本兵として出撃したそうです。
沢山の未来が消えてしまう戦争。。。
で、
あの脚線美はどなたかしら?
兎に角、ご無事に旅行を楽しめて良かったです。