私の家の近くにある、明治35年繰糸工場として創業した亀山製糸。
昔、富岡製糸に訪れた折、富岡製糸の歴史の中に、この亀山製糸の名前も出ていました

富岡製糸は、当時(2014年)
修復に100億ほどかかると聞きました(2014年2月の大雪で倒壊した建物や他の修繕費用)
国が70パーセント 県が15パーセント 富岡市が15パーセントを負担するとか(10年前のお話です)

で・・今日の話題の亀山製糸ですが、歴史的な価値を認めてもらえないまま、取り壊すでもなく、現在、本当に無残な姿をさらしています


工場の門は、鈴鹿市の神戸城(織田信長の3男・織田信孝が入城するなど、歴史的にも伊勢の要衝)から移築されてきたという
由緒あるものだそうです



その門も樹木が大きくなって見えにくい状態
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大正天皇が視察に来られた碑も、樹木に隠れてしまってます

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富岡製糸場で見た、糸繰場の屋根と同じ形態の、
蒸気を逃がすため越屋根と呼ばれる構造が見られましたが、
現状は無残な姿を残しています

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建物は、1995年まで亀山製糸室山工場として操業していたのですが、
現在は、建物の大部分を壊してしまって、この糸繰場の建物のみ、残っています
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もっと早くに、歴史的建造物としての価値を見出し、保存に尽力して頂いていれば・・・
ただ、修理補修など、
莫大な金額を要し、
さほど大企業でもない一企業が、保存、管理することは難しいとは思うのですが、国。三重県。四日市市、何の手も差し伸べられなかった事が悔やまれます