娘の婚礼準備に追われています
お相手と2人で決めた新居は、2LDK。二人の生活には十分です。
将来的には、新居を建築していただく予定とかで、家具など、一切は、その時(新築時)にと、先様から言っていただいてます。
しかしながら、エアコンや、家電品の準備など、多忙な日々です
先日は、寝具の用意。
娘の言う、エアウィーヴ や テンピュール などの、低反発。高反発のマットレス。
新築時に、ベッドを入れるとの事。それまでの間、フローリングに直接敷く、マットレスにしたいと。。。
値段を聞いて、びっくり。大きく驚く母です。
私の婚礼の時を思い出してます。
40年も前の話です。
当時は、婚礼布団と言われる「緞子」「綸子」と呼ばれる豪華な和風のお布団でした
縁談がまとまると、家具と一緒に、一大イベントの買い物だったと記憶しています
私の場合は、母が亡くなっていて、当時、近所のオバチャン(親戚ではなく)達が、「男親では分からないだろうと。。」(笑)皆さんが非常に協力的で(笑)私の段取りすべてを、してくれました。
日本の古き良き時代だったと、今更ながらに思うんです
近所のおばさん達が、婚礼布団一式を用意してくれました
(綿入れなど、すべて皆さんの手作りでした)
夫婦のお布団一式とともに、来客用のお布団も2組(二流れって教わった)
家具も近所のおばさんと一緒に。。
支払いは、私自身で(よく貯めていた事だと思います)
婚礼の道具の出る日、御仲人さんと、黒ダブルの洋服を着た親戚の男の人たちの力で、荷物の積み込みをしていただきました
紅白の幕をぐるりと荷物に掛けトラックは嫁ぎ先に出発
今では見かけなくなった、布団ダンスや、座布団ダンスなどもあり、和箪笥や洋服箪笥には、中身をいっぱいに(いらないものまで入れて、中身をいっぱいにしたものです。)
嫁ぎ先では、御座敷いっぱいに、荷物を並べ、ご近所の皆さんが見に来られたと聞いています。
私と父では、とても、田舎に嫁ぐ準備をできなかったことですが、ご近所のみなさんのおかげで、おばさんたちの言われる「恥をかかないような」準備を整えていただきました
あれから。。40年。
今、婚礼家具というものもなく、喪服や着物の準備もいらないような世の中になりました
紅白の幕を付けたトラックも、まったく、見られなくなりました。
40年の時を経て、今、娘の婚礼の準備は、まるで、引っ越しそのもの。
当時、部屋の半分を占めていた、寝具は、コンパクトなケースに入った羽毛布団になりました。
実母が経験することなく逝ってしまった「娘を嫁がせる」って言う事
大変な事だと思いつつも、どこか楽しんで用意する私がいます
「恥をかかないように」と一生懸命に用意してくれた近所のおばさん軍団は、私の初めてのお産の時にも、大きな力となってくれました。皆さんが他界され、向こう三軒両隣の精神も、隣は何をする人ぞ。。の時代に移ってしまいました。
娘の結婚準備に追われる中、40年前を思い出しながら、感無量の私です
お相手と2人で決めた新居は、2LDK。二人の生活には十分です。
将来的には、新居を建築していただく予定とかで、家具など、一切は、その時(新築時)にと、先様から言っていただいてます。
しかしながら、エアコンや、家電品の準備など、多忙な日々です
先日は、寝具の用意。
娘の言う、エアウィーヴ や テンピュール などの、低反発。高反発のマットレス。
新築時に、ベッドを入れるとの事。それまでの間、フローリングに直接敷く、マットレスにしたいと。。。
値段を聞いて、びっくり。大きく驚く母です。
私の婚礼の時を思い出してます。
40年も前の話です。
当時は、婚礼布団と言われる「緞子」「綸子」と呼ばれる豪華な和風のお布団でした
縁談がまとまると、家具と一緒に、一大イベントの買い物だったと記憶しています
私の場合は、母が亡くなっていて、当時、近所のオバチャン(親戚ではなく)達が、「男親では分からないだろうと。。」(笑)皆さんが非常に協力的で(笑)私の段取りすべてを、してくれました。
日本の古き良き時代だったと、今更ながらに思うんです
近所のおばさん達が、婚礼布団一式を用意してくれました
(綿入れなど、すべて皆さんの手作りでした)
夫婦のお布団一式とともに、来客用のお布団も2組(二流れって教わった)
家具も近所のおばさんと一緒に。。
支払いは、私自身で(よく貯めていた事だと思います)
婚礼の道具の出る日、御仲人さんと、黒ダブルの洋服を着た親戚の男の人たちの力で、荷物の積み込みをしていただきました
紅白の幕をぐるりと荷物に掛けトラックは嫁ぎ先に出発
今では見かけなくなった、布団ダンスや、座布団ダンスなどもあり、和箪笥や洋服箪笥には、中身をいっぱいに(いらないものまで入れて、中身をいっぱいにしたものです。)
嫁ぎ先では、御座敷いっぱいに、荷物を並べ、ご近所の皆さんが見に来られたと聞いています。
私と父では、とても、田舎に嫁ぐ準備をできなかったことですが、ご近所のみなさんのおかげで、おばさんたちの言われる「恥をかかないような」準備を整えていただきました
あれから。。40年。
今、婚礼家具というものもなく、喪服や着物の準備もいらないような世の中になりました
紅白の幕を付けたトラックも、まったく、見られなくなりました。
40年の時を経て、今、娘の婚礼の準備は、まるで、引っ越しそのもの。
当時、部屋の半分を占めていた、寝具は、コンパクトなケースに入った羽毛布団になりました。
実母が経験することなく逝ってしまった「娘を嫁がせる」って言う事
大変な事だと思いつつも、どこか楽しんで用意する私がいます
「恥をかかないように」と一生懸命に用意してくれた近所のおばさん軍団は、私の初めてのお産の時にも、大きな力となってくれました。皆さんが他界され、向こう三軒両隣の精神も、隣は何をする人ぞ。。の時代に移ってしまいました。
娘の結婚準備に追われる中、40年前を思い出しながら、感無量の私です
看護学校卒業と同時に結婚したアホくちこの結婚準備は、全部、全額、亡き両親が準備しました。
養子取りだったし、元夫も、その親もお金に無い人だったのでね。
くちこは、新居への荷入れが気になって看護婦の国家試験会場から脱走して途中で帰ったツワモノです。
婚礼家具、古びましたが現役です。
鏡台なんて、高校入学時に買って貰った物です。
今話題の?大塚家具。
娘も息子も、大学時代から使っている物や、その伴侶が使っていた物とかを持ち寄って、大した家具も無く仕度も無くスタートしましたよ。
祝い金は出しましたが、後はすべて本人任せ。
くちこ流です。