春岳院釈健浄

父の新しい名前です

父は、生前、自分の好きな字である「春」という字と、
名前の一字「健」を含めた戒名を考えていて
3年前に、この院号を頂戴しておりました

私自身の備忘録を兼ねたブログですから、
少し今回の経緯を書き連ねてみたいと思います
mixiの方でお相手下さいます方には
一部重複いたしますがお許しください

父の死亡診断書の病名欄には「肺気腫」となっておりました
長く町医者にかかっておりましたが、
肺の病気があった事など、まったく気がつきませんでした。
この病気は今回入院させていただいた病院の検査で見つかったものです
大きな病院に入院してからの検査の日々の中で
糖尿病から来る右足の中指と小指に壊疽が見られ、
切断を迫られておりました
(場合によって指だけではなく足首からの切断もありうるとの説明あり)
私としては、父は高齢でもあり、肺に病気も抱えた状態で
足の手術をする事に大きな戸惑いを覚え
出来ることなら、何も処置せずにソットしておいてほしいというのが
本音でした。

父の亡くなる当日(2月8日)午後、病院を訪ねた折り
ちょうど、病棟のナースステーションに、
私の担当医(私もこの病院に長く通院しておりますので)
(父の担当医ではありません)
の姿を偶然に見つけこの医師にも父の壊疽と、私の思いを話し
丁寧な説明を受け、手術やむなし・・の考えを固めました
父にどう説明しようかと頭の痛いことでした。
その後、父の病室を訪ね、いつものように取り留めもない事などを
少し話をし(足のことは結局言いだせませんでした)
「じゃあ・・帰るわね。明日は来られないから明後日来るわ」
「また来てな!」
「うん!また来るわ!」
父と話した最期の会話です
確か午後4時前だったと記憶しています

その日の夜、母からの電話で父の死亡を知りました
母も私も父の最期に立ち会う事はできませんでした
入院から10日。あまりにも突然で、あっけない別れでした。

翌日(9日)の午後4時ころ、
通夜の準備をしながら
「昨日の今頃・・また来てな!って言って手を振ってたのに・・・」
って思うと、
人の最期ってこんなにもあっけない物なのかと、改めて思うことでした。

私の年で親を見送る事は、仕方のない事で、
いろいろと思う事はありますが
これも定命と納得のいくことです

足の指の切断もなく、旅立つことができて
ほんとうに良かったわ・・・・合掌

皆様から暖かなコメントを頂戴し、心底うれしく思っております
ありがとうございました