時間も午後3時を過ぎていました(受付時間午後4:30まで)このような時間帯なら、空いているかも。。
そんな気持ちで立ち寄ることにしました
車で製糸場までは行くことができません
近くに何ヵ所かの有料駐車場がありますが、私たちは市営の駐車場が運よく空きがありました。
駐車場から、製糸場までの道。。道幅は広くありません。すごい人です
人通りを目的に、にわかに出来たであろう簡易的なお店がつながります(スポーツ用品店。飲食店。洋品店など、お店の前の空きスペースに、土産物などが並んでいます)
やっと製糸場に到着。
と。。思いきや。。
入場のチケットを買い求める人の列が延々と続きます
(列の長さに驚きましたが、案外、早く進みました)
チケットと一緒にもらったパンフレット
時間をきめて、場内を詳しく案内してくださいます(無料)が
私たちは、時間の関係もあり、個人でパンフレット片手に歩くことにし
息子は音声ガイドを200円で借りました。
大変に、お恥ずかしい話ですが、私は、富岡製糸場を知りませんでした。
学校で習った記憶がありません(忘れたんだよね。きっと。)
私の中での製糸場は、ああ野麦峠だったかの,
女工哀史と結びつき
低賃金で過酷な長時間労働を強いられて。。。と
あまりいい印象を持っていませんでした
全く、いい歳をして、お恥ずかしい限りです
私にとっての富岡製糸場見学は、
パンフレットでお勉強することから始まりました
明治政府が、官営模範工場として設立した
富岡製糸場の労働条件は極めて先進
女工哀史とは思い違いもはなはだしいことでした
国内8か所に、富岡製糸場を模した製糸場が作られた
官営工場の中で、当時のままほぼ完全な状態で
保存されているのは富岡製糸場だけ。
チケット売り場から真正面。
東繭倉庫です
東繭倉庫の入り口上部に、明治5年の
碑が組み込まれていて、その歴史を刻みます
東繭倉庫 内部一階には、
ビデオによる製糸場の歴史の解説が約20分、
判りやすい説明でした。
復元糸繰機の実演場
富岡製糸場の歴史などの紹介や売店があります
興味深く見て歩きました
国内に、富岡製糸場を模した製糸場が8か所作られたとのこと。
その中の一つが、私の自宅からすぐ近くの
室山製糸場であったことを知りました
まぁ!びっくり。
毎日のようにこの建物の近くを通っていましたが
そのような歴史のあったことを知りませんでした。
室山製糸場は、先日、写真を撮ってきました
その現状も含めて、後日のブログの話題とします
東繭倉庫を出て、中庭を西繭倉庫に向かって歩くと
左手に乾燥場
今年の2月14日15日の大雪で倒壊してしまったと記載あり
修復が待たれます
この建物だけではなく、あちこちに大雪の被害を受け
修復に100億ほどかかるとか。
国が70パーセント 県が15パーセント 富岡市が15パーセントを負担するとか
http://www.city.tomioka.lg.jp/
石炭を燃やす際に発生する煙対策で高く造られ
現在残るのは昭和に建設された二代目の煙突だそうですよ
公害対策も当時から考えられていたのですね
西繭倉庫
発掘調査中とのこと。何がでてくるのかな。。
繰糸場内部
どこまでも続く繰糸機、140.4メートル
多くの部分はビニールか掛けられていて詳しく見ることができないな・・・
って思っていたら
一部のビニールが外されて
機会の内部を見ることができました
診療所
病室
フランスの技術を導入した日本初の本格的製糸工場。
長い間生産量が限られていた生糸を
大量生産により養蚕・製糸・
海外に売り込むことで、外貨を獲得
世界の絹産業の発展を支え、明治政府の生糸大量生産に大きく貢献したのが
ここ富岡製糸場です。
明治36年には、原合名会社に譲渡され
昭和13年 片倉工業が管理するようになり
㈱ 富岡製糸所として独立
富岡市に譲渡するまでの間、
この建物の管理に努めていてくださったそうです
経費的にも大変なことであったろうと思ったことでした
その御蔭で、今、私は、遅まきながら
大きなお勉強をすることができました