自分の備忘録とはいえ、長い旅の記録を連日お付き合いくださってありがとうございます
旅行記最終です
今回ご一緒した友人ご夫婦が、以前尋ねらたところで、私の全く知らなかったところに、案内していただきました
太平洋戦争の遺跡として、長野市が、維持整備し管理しているのが、松代象山地下壕
まぁ・・・・すごい所でした
東京から遠く離れたこの松代に、太平洋戦争の末期、軍部が本土決戦最後の拠点として、極秘裏にこんなことがなされていたんです・・・
象山地下壕に、政府機関、日本放送協会、
皆神山地下壕に備蓄庫。
舞鶴山地下壕に皇居、大本営を移転することになりました。
3つの地下壕の長さは10kmにも及ぶんだそうです
着工は昭和19年11月11日午前11時
当時のお金で2億円の巨費と300万人の労働者が強制的に動員され、工法も、旧式な人海作戦を強いられ、1日三交代の徹夜作業だったそうです
そのころの日本は、若い者、元気な者はすべて戦地に出向き、この地下壕に携わった労働者の多くは、朝鮮の方たち。
食糧事情も悪く、辛い作業に、多くの方が犠牲にもなられたと聞きました
全行程の75パーセントのところで、終戦となり、工事は中止となりました
東京から遠く離れた長野県松代の地に、このような歴史的事実があったことを知り、胸が詰まるような思いでした
ヘルメットを着用し、ボランティアで説明くださる方と一緒に
地下壕に入るまえに上記のようなお話を伺います
半そでの方は上着を用意してください
「中は寒いですよ」と言われ
あわてて上着を取りに車に戻っていただきました
地下壕は総延長5,853m。
そのうち、500メートルを長野県が整備し公開しています
遠くに見える赤いものは、壕の補強です
横上を走るのは電源用のケーブルです
削岩機ロッドで穴をあけ、ダイナマイトで掘り進んだそうです
岩盤が堅くて抜けなくなったロッドが今も残っています
一定の間隔で照明が設置されているので完全な暗闇ではありませ
非公開部分は、柵が施されてい
遠く故郷を離れ、強制的に重労働を強いられた思い。。
考えるとつらいです
刺さったままの木片
当時、木片の先にガイシを通して電線を通したといわれる
壕の内部の様子など、写真に上手く撮れませんでした
この工事による朝鮮から労働に来られた方の犠牲者の数も
明らかにされてはいません
またこの近所に「慰安所」があり、
朝鮮から連れてこられた若い女の人たちの
無念をも思ったことでした
この地に住む住人の方々の突然の退去命令。
詳しい話も聞かされずに家を追われた地元の方々
そのすべての方が戦争の犠牲者です
私は戦争を知りません
広島。長崎の原爆投下による甚大な被害は聞き及ぶところですが
この地下壕が機能されることなく終戦を迎えたことは
これ以上の被害を出さずにすんだことに他なりません
沢山の方が犠牲になられた戦争の悲劇の一端を知るためにも
見ておくべき遺跡だと感じました