1月14日。義父が他界しました。90歳
いろいろな苦労を乗り越えての大往生だったと思います


どんなにつらい事があっても、一晩が過ぎれば、必ず、朝が来るものと思っていました。
眠りからさめれば、必ず、朝が来るものと思っていました

朝の来ないことを今更ながらに知ったおじいちゃんとの突然の別れでした。

嫁いで40年。常に人生の先を照らし、先を行く明りとなってくれた義父でした


以下 備忘録
その日(1月14日)夕方(六時頃)夕飯を届けると(主人が)いつもと変わりない状態で、義父が受け取ってくれた由


翌日(1月15日)午前中に、義母の入院先で、転院を含め、退院後の生活についての話し合いに主人と出かける。

同居をかたくなに拒否し続ける義父母には、2人そろって(夫婦部屋)、施設にお願いする事に決め、そのような施設を探していただくようお願いし、義父に承諾を得るため、実家に行く。

お昼を大きく回っているにも関わらず、実家の雨戸は締まったまま。
エアコンの室外機は回った状態。寝室の明りが洩れていました。


大慌てで中に入ると、呼べど返事のない義父がいました。

死亡診断のため、かかりつけの医師に連絡。
すぐに駆けつけてくださいました

それからの日々。正直なところ、目の前の事を消化していく事に精一杯。近所の友人に聞いたり、町内の長老に聞いたりで、一連の儀式をすませ、気がつけば、2・7日(ふたなのか)
娘がしばらくこちらに居てくれて、何かと力になってくれました。

昔の色濃い当地ゆえ、初七日以後、7日・7日のお参りがありますが、最近は、ずいぶん簡素になって、初七日はお葬式の日に済ませ、2・7日(ふたなのか)3・7日(みなのか)を纏めて行うようです。

昨夜は2・7日(ふたなのか)と3・7日(みなのか)のお参りでした
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寒い季節の夜のお参り。親戚の方には本当にご迷惑をかけましたが、
田舎ならではの「お互い様」の気持ちから、
皆さんが気持ちよくお参りして下さり、感謝です
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私どもの感謝の気持ちを添えて
お供えいただいた品の「お下がり」のお菓子とともに
御持ち帰りいただきました

2月14日には初命日 4・7日 5・7日のお参りをし
3月6日には、7・7日(しじゅうくにち)の法要の予定です


年末から頸椎損傷で入院している義母
今回の事の次第を、どうやって、いつ、だれが告げるかと、最大の難問でした。
知らせないわけにもいかず・・・・・
(葬儀に参列しました)
この件に関しては、また、聞いてくださいね

葬儀後、主人の実家で、1日の生活の大部分を過ごしています
インターネットに接続出来ない環境で不自由この上ない生活が、しばらく続きそうです


みなさんから、お悔やみの言葉や、私の体を気遣って下さるコメントなど、
たくさんにありがとうございます
(義母の入院経過にもコメントをいただきながら、
御返事が出来ていません。すみません)

それぞれに、コメントとして、お返しするのが本意ですが、
生活環境がゴロッと代わり、
また、メンタル面で案じられる義母に寄り添う時間を最優先と考え、
落ち着きのない日々を過ごしております

皆さまのブログにお邪魔する気持ちの余裕もなく
いただいたコメントに御返事を失礼させていただいております事御許しください