群馬サファリーパークから、車で10分15分位のところに、今話題の富岡製糸場がありました。
時間も午後3時を過ぎていました(受付時間午後4:30まで)このような時間帯なら、空いているかも。。
そんな気持ちで立ち寄ることにしました

車で製糸場までは行くことができません
近くに何ヵ所かの有料駐車場がありますが、私たちは市営の駐車場が運よく空きがありました。
BlogPaint

駐車場から、製糸場までの道。。道幅は広くありません。すごい人です

089

人通りを目的に、にわかに出来たであろう簡易的なお店がつながります(スポーツ用品店。飲食店。洋品店など、お店の前の空きスペースに、土産物などが並んでいます)

BlogPaint


やっと製糸場に到着。
と。。思いきや。。

BlogPaint

入場のチケットを買い求める人の列が延々と続きます
(列の長さに驚きましたが、案外、早く進みました)

003

チケットと一緒にもらったパンフレット

083

時間をきめて、場内を詳しく案内してくださいます(無料)が
私たちは、時間の関係もあり、個人でパンフレット片手に歩くことにし
息子は音声ガイドを200円で借りました。

009



大変に、お恥ずかしい話ですが、私は、富岡製糸場を知りませんでした。
学校で習った記憶がありません(忘れたんだよね。きっと。)

私の中での製糸場は、ああ野麦峠だったかの,
女工哀史と結びつき
低賃金で過酷な長時間労働を強いられて。。。と
あまりいい印象を持っていませんでした

全く、いい歳をして、お恥ずかしい限りです
私にとっての富岡製糸場見学は、
パンフレットでお勉強することから始まりました


 明治政府が、官営模範工場として設立した
富岡製糸場の労働条件は極めて先進的。
一日の実働時間は7時間45分。週休1日と定められていたそうな。

女工哀史とは思い違いもはなはだしいことでした

国内8か所に、富岡製糸場を模した製糸場が作られた
官営工場の中で、当時のままほぼ完全な状態で
保存されているのは富岡製糸場だけ。


059
DSC00203

チケット売り場から真正面。
東繭倉庫です

a

東繭倉庫の入り口上部に、明治5年の
碑が組み込まれていて、その歴史を刻みます

001

東繭倉庫 内部一階には、
ビデオによる製糸場の歴史の解説が約20分、
判りやすい説明でした。
復元糸繰機の実演場
富岡製糸場の歴史などの紹介や売店があります
興味深く見て歩きました

6807466d-s


国内に、富岡製糸場を模した製糸場が8か所作られたとのこと。
その中の一つが、私の自宅からすぐ近くの
室山製糸場であったことを知りました
 
728601c6-s

まぁ!びっくり。
毎日のようにこの建物の近くを通っていましたが
そのような歴史のあったことを知りませんでした。

室山製糸場は、先日、写真を撮ってきました
その現状も含めて、後日のブログの話題とします


東繭倉庫を出て、中庭を西繭倉庫に向かって歩くと
左手に乾燥場 

a

今年の2月14日15日の大雪で倒壊してしまったと記載あり

063

修復が待たれます
この建物だけではなく、あちこちに大雪の被害を受け
修復に100億ほどかかるとか。
国が70パーセント 県が15パーセント 富岡市が15パーセントを負担するとか
http://www.city.tomioka.lg.jp/www/contents/1395045703711/index.html


IMG_20140914_153948

石炭を燃やす際に発生する煙対策で高く造られ
現在残るのは昭和に建設された二代目の煙突だそうですよ
公害対策も当時から考えられていたのですね


IMG_20140914_154444

西繭倉庫
003

066

発掘調査中とのこと。何がでてくるのかな。。

002

繰糸場 入口
BlogPaint

繰糸場内部
IMG_20140914_153107

どこまでも続く繰糸機、140.4メートル
多くの部分はビニールか掛けられていて詳しく見ることができないな・・・
って思っていたら

一部のビニールが外されて
機会の内部を見ることができました

070
071

設置されている繰糸機は、
昭和62年(1987年)まで片倉工業が使用していた最新鋭の大型機。

フランス人の指導者が家族と住んでたブリュナ館

DSC00225
004
075

診療所

077

病室

078

寄宿舎

005
065

上手く撮れてませんが女工館

007

フランスの技術を導入した日本初の本格的製糸工場。
長い間生産量が限られていた生糸を
大量生産により養蚕・製糸・織物にかかわる一連の絹産業を発展させ
海外に売り込むことで、外貨を獲得
世界の絹産業の発展を支え、明治政府の生糸大量生産に大きく貢献したのが
ここ富岡製糸場です。


富岡製糸場は、その後三井家に払下げとなり(明治26年)
明治36年には、原合名会社に譲渡され
昭和13年 片倉工業が管理するようになり
㈱ 富岡製糸所として独立
昭和62年まで操業が続きます

平成17年 国の指定史跡となり、富岡市に寄贈
富岡市の管理下となりました

平成26年 日本国内で18番目の世界遺産となりました

020

そして操業停止後も片倉工業は、従業員の解雇をせず
富岡市に譲渡するまでの間、
この建物の管理に努めていてくださったそうです
操業停止後の何十年も、無償で管理をしてくれたこと
経費的にも大変なことであったろうと思ったことでした

その御蔭で、今、私は、遅まきながら
大きなお勉強をすることができました
 

ssss
 

長いブログとなりました
最後まで目を通してくださってありがとうございます

もらって来たパンフレットを熟読しながら
ブログにしましたが、一部、記憶違いもあるやも。。。
間違いがあれば、ぜひ、教えてください