実家の父も春になると87歳。要介護2の申請が受理され、寝ていることが多くなりました。
世話をする母も83歳。老老介護を絵に描いたような毎日です。
介護保険を使って、いろいろと、助けをいただいてはいるものの、母も体調を崩しがち。もう限界です。
少しの間、母にゆっくりした時間を与えるため、父を10日間の予定で、預かっていただくことにしました
ケアマネージャーの方にお願いしたところ、ホームなどに空きがなく、入居待ちの人も多く、入れる状態ではない事を聞き、「宅老所」と呼ばれる所もいっぱいの状態だと聞きました。
自宅から遠く離れたところに宅老所の「空き」を見つけてもらって、先日、お世話になりました。
翌日、私が訪ねてみた所、まぁ・・・すごい所でした。
市内の西のはずれで、鈴鹿山脈から吹き下ろす風が、一段と厳しく、寒さが一段と増す地域。
周りは茶畑の中の一軒家。古い民家を買い取って、スロープなどを付け、「宅老所」とした審査に合格したような所でした
あたりには、田舎で、大きな作りの民家の空き家になった所を買い取り、少し手を加え、宅老所にしているような所が沢山ありました
まさしく、商売!
10日間だけとは言うものの、父の人生最終章を、あのような所に預けるのには、大きな抵抗がありました。
かといって、我が家も義両親を抱え、父を引き受ける余裕もなく、まさに八方ふさがりの状態です。
父はそのような所に抵抗するかの如く、食事が食べられなくなり、夜も眠れない状態だったため、市内の病院に搬送されました
容態が急カーブを描きながら下降しています。
入居待ちの老人が多いなか、どういう所であれ「見ていただける所があった」だけでも運が良かったと、思わせるような今の社会。
高齢化社会の現状を目の当たりにした今回の「宅老所問題」です。
母の立場を思えば、父を一日でも長く病院に預かっていただくことが最善の方法ですが、病院も治療の手立てがない者をいつまでも預かっていただけるものでもなく、今、有料のホームを含めて、いろいろと手をつくし、あちこちとあたっている所です。
高齢で、病弱の義母が面倒をみれないということで
認知症の病院に入院して、春で1年になります。
忘れっぽいですが、トイレも、食事も自分でできたし、
頭もわりとしっかりしていたので
少し、可哀そうな気もしましたが、
主人の兄は、二人とも、もう亡くなっているし
兄嫁にも生活があるので、面倒をみてもらうわけにもいかず
我が家には、母がいますし、
引き取るわけには、いかず、病院にいれました。
11月に肺炎を起こし、今も治療中で
腎臓が弱ってきたので、透析を勧められています。
80半ばすぎると、いつ何がおきてもわからないので
心配です。
主人の母は、心臓に持病を持っていて、
入退院を繰り返し、家にこもりがちでしたが
昨年の秋から、週二回、ディホ―ムに通い出したら
驚くほど、元気になって、生き生きと生活しています。
家で、介護には、限界がありますね。
お母様には、お母様の人生があるし…
主人の母をみていて、外の空気に触れることは大切だと思いました。